記録によると藤島旅館は慶長元年にはこの場所で温泉旅館を営んでいたようです。当時、このあたりは仙台藩領の陸奥国玉造群大口村(むつのくにたまつくりぐんおおぐちむら)と呼ばれていました。藤島家は大口村内の川渡温泉の湯守として宿屋を営業し、温泉を管理して入湯客からの湯銭を徴収する仕事をしていました。その一部を「御役代(おやくだい)」として藩に上納するのですが、御役代(運上金)は年貢ではなく諸役に分類されるため、藩の収入になります。それもあって温泉の権利をめぐり何度も利権争いが起こっています。興味のある方は調べられると面白いかもしれません。
江戸時代に出版された「諸国温泉効能鑑」(温泉番付)には、仙台藩領内の温泉として鎌先、秋保、鳴子、川渡の4つが掲載されています。全国的にも知られた名湯が集まるこの辺りは、当時から温泉のメッカとして全国から湯治にくる人が後を絶たない場所でもありました。藤島旅館は川渡温泉と共に、400年以上この場所で全国から多くの人に親しまれてきた旅館です。
当館の当主は「藤島吉郎右衛門(きちろうえもん)」と名乗り、代々男子が継承して参りました。今は名前の踏襲こそしておりませんが、現当主は19代目「藤島吉郎右衛門」になるかと思います。
藤島旅館の北側にはとても古い、温泉にまつわる神社があります。藤島家の当主が代々総大長を担い、管理してきた神社になります。参道から鳥居を抜けると左側に階段があり、登ると境内に辿り着きます。約1100年前に作られた「延喜式神名帳」にも登載されている由緒正しい神社になります。全国に温泉に関する神社は10社あると言われますが、この温泉石神社はそのうちの一つです。もう一つ「温泉神社」が鳴子温泉にもあります。10社のうち2社が近くにあるというのも珍しいのではないでしょうか。この辺りは本当に昔から温泉がたくさん出る場所だったんですね。
由来
「承和4年(837年)この地に大噴火が起り、雷響き振へ昼夜止まず、周囲二十余尺の大石の根元より温泉河に流れ、その色水漿の如しと依って、この石を温泉石神として祀り鳥居だけがあった。其の石上に承和10年神社を建立し、大己貴神、少彦名神を祀り、土地の人等この状を具して朝廷に奏し、明治7年大口村の鎮守神として村社に列せられる。」
温泉石神社の由来にある温泉の色「漿(おもゆ/しる)」は、現在の藤島旅館の泉質である含重曹芒硝-硫黄泉の色の特徴とも合っていると思います。